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17件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2010-10-18 第176回国会 参議院 決算委員会 第1号

西郷南洲翁がなぜ征韓論を唱えてついには参議を辞して鹿児島に帰られて、西南戦争を本意ならずとしてもその総大将に祭り上げられて倒れていくという過程が、その遺訓とどう、何というんですか、遺訓に沿っておるのか、遺訓と擦れ違ったところがあるのか、これまた私どもは拳々服膺しなければならないと思います。  それで、属国論の話を先生と、丸山さんと電話で話した記憶は全くございません。

仙谷由人

2008-04-18 第169回国会 参議院 決算委員会 第3号

丸山和也君 明治政府のころに、征韓論が非常に沸騰したころに西郷隆盛が、詳しいことは時間がありませんので言いませんけれども、おれが一人朝鮮に行くと、そこで話をしてくると、こう言ったんですね。でも、みんなが止めて、おまえが行ってどうするんだと。彼は決して、朝鮮をたたけという主張じゃなかったんですけれども、後日そういうふうに若干ゆがめられていますけれども、行って話をしてくると。  

丸山和也

2008-02-26 第169回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号

津村委員 民間外交日韓関係が冷え込んだときも非常に重要な両国関係の礎として続いてきたということを私は大変大きく考えているんですが、そういう中で、以前、シャトル外交では、指宿が、征韓論を唱えたとされる西郷さんの地元であえてやろうということでされたとか、一時期は、盧武鉉前大統領ゆかりのあった滋賀県でやること、滋賀県が要望されたとか、いろいろな話があります。  

津村啓介

2006-11-07 第165回国会 衆議院 安全保障委員会 第5号

なぜそんなことを伺うかといいますと、いろいろな民間レベルの、これは日韓議員連盟も含めて、いろいろな方々が御努力をされているわけですが、トップレベルでは、靖国問題その他、時には波風が立つわけですけれども、しかし、民間ないし議員レベルでずっと根強い交流がこの間も続いてきて、シャトル会談というのは、実は、トップが会うことももちろんなんですけれども、今まで指宿とか、征韓論の発祥の地だった西郷さんの地元鹿児島

津村啓介

2005-10-26 第163回国会 衆議院 外務委員会 第4号

もう少し敷衍して申し上げますと、指宿というのは言うまでもなく鹿児島県ですが、鹿児島県といえば征韓論で大変有名な西郷隆盛出身地ということも、これは指宿関係者の方か外務省の方から伺った話なんですけれども、そうした征韓論ゆかりのある西郷隆盛出身地であえて日韓首脳会談を友好的に行う、そのことには言外の意味が、大変意義深い意味があったというお話を聞いたことがあります。  

津村啓介

2003-10-08 第157回国会 参議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 第4号

例えば、日本外交官、代表的な外交官で、貴族院議員から枢密院顧問までやられた、これは石井菊次郎さん、「外交餘録」という本で書いていますけれども、日本は、まず明治維新早々征韓論それから征台論で好戦国だという誤解を受けた、それをやっと解いたら、日清戦争日露戦争でまた好戦国だと言われた、その疑問を解いたら、今度は第一次世界大戦中の対中国政策でまた好戦国だと言われたということを四十年の外交活動を振り返

吉岡吉典

2003-05-08 第156回国会 衆議院 憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 第4号

西郷隆盛がいわゆる征韓論明治七年に唱えましたが、その後、明治十七年に朝鮮半島日本在留邦人が大虐殺を受けるという、それも清国の軍隊から虐殺を受けたことが最初の中国との接触でございました。歴史を見ると、そういう繰り返しでございます。  その意味で、五つの常任理事国だけで、その常任理事国が小さな国に対して圧力をかけているうちはいいですけれども、その常任理事国同士が対決をする。

中山正暉

2001-03-22 第151回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

皆さんも知ってのとおり、二十世紀日本歴史は、考えていきますと、明治維新以後の征韓論から、日清戦争からさらに朝鮮戦争に至るまで、日本の大きな歴史転換点には必ず朝鮮半島がかかわっておりました。日本征韓論から日清戦争を経なければ、日本歴史は大きく変わっていたでありましょう。また、一九五〇年の朝鮮戦争が起きなかったならば、日本歴史はまた大きく変わっていたでありましょう。

姜尚中

1997-02-03 第140回国会 衆議院 予算委員会 第5号

これが、征韓論にもつながっていく日韓悲劇の起点でありました。このかたくなな態度を見て、総理の御出身校福沢諭吉は「脱亜論」を書かざるを得なくなっていったわけです。日王という称号は、天皇の皇に対して、これは日本は中華、華夷秩序から見れば使えない国だというふうに、韓国が、政府ですから、政府としてそういう意識のもとに政府も文書の中に使っているということを御指摘申し上げます。  

西村眞悟

1978-05-09 第84回国会 参議院 文教委員会 第10号

木戸内務卿はこの立場から征韓論に反対し、明治七年内務卿として文部卿を兼務しましたが、台湾征討の事が決せられるに及んで、文部卿を辞任いたしております。  このような国民教育重視の精神はずっと受け継がれておりまして、師範学校卒業生に兵役の猶予あるいは軽減をしたり、学費を支給したりするなどの措置がとられ、これらは師範学校に地方の優秀な学生が集まることになった柱となっていると考えられます。  

小尾乕雄

1976-05-07 第77回国会 衆議院 外務委員会 第6号

それに力のついたロシアが上に乗ってきたのが例の明治維新当時の日本の周辺の事情、釈迦に説法みたいな形になって大変恐縮でございますが、その中でロシアはその弱り切った清朝政府を利用して朝鮮半島極東木材会社鴨緑江木材会社という架空の木材会社をつくって、そこに軍服を脱いだ軍人を送り込んできたことが、明治維新元勲西郷隆盛あたり征韓論を唱えた理由であったと思います。

中山正暉

1974-09-06 第73回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

大出委員 日本に自衛隊という名の、私流に言えば軍隊がございますために、年輩の方々からよく出てくる征韓論じゃありませんけれども、最近の週刊誌その他の中に、今回のこの一連の事件というのは、一つ間違えば、昔の話ならば宣戦布告じゃないか、国交断絶じゃないか、日韓もし戦わばなんというとんでもない記事が最近は散見されるわけであります。

大出俊

1969-02-25 第61回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

○長谷川(正)分科員 私は西郷隆盛征韓論がどういう真意であるか、歴史家でありませんからわかりませんが、しかし隆盛敬天愛人をモットーとして、日本国民の多くから今日なお深い敬愛を受けていることは御承知のとおりでございまして、この問題についていま法相がおっしゃったように、隆盛の血の流れておる西郷法務大臣のときにぜひひとつ、単に人道的という以上に、歴史的経過をも踏まえた良心をもって処理をしていただきたいということをまず

長谷川正三

1969-02-25 第61回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

なぜ私がそんなことをたいへん失礼を顧みずお聞きしたかといいますと、私はこの朝鮮の問題を考えながら、特に西郷法務大臣が御就任以来たいへん御理解のある態度で、また、人道的な問題として処理するという態度でお臨みになっているように感ぜられますので、西郷隆盛征韓論を思い出すわけなんです。

長谷川正三

1968-12-18 第60回国会 衆議院 法務委員会 第2号

猪俣委員 あなたのおじいさんは征韓論を唱えられたというのですが、それが決して朝鮮と戦争する意味じゃないということが近年来の歴史家によって大いに証明されております。親善を厚くするための議論であったということを私ども承知しているわけであります。あなたはそのお孫さんに当たられるのでありまして、どうか祖父の意思を継いでアジアの親善のためにひとつ立ち上がっていただきたい。  

猪俣浩三

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